3分間スピーチ

令和5年11月8日 大山さん

 皆さん、11月は何の月間かご存知ですか? 「オレンジリボン運動月間」。これは厚生労働省が定める児童虐待防止推進月間です。2004年に栃木県小山市で幼い兄弟二人が虐待により亡くなった事件をきっかけに全国でオレンジリボン運動が始まりました。

皆さんは、もし身近で“あれは児童虐待では?”と感じたらどうしますか? “どうしたらいいかわからない”、“逆恨みが怖い”など様々な思いがよぎると思います。そんな時、相談できるのが『189』です。ろうの方は『電話リレーサービス』で可能です。相談した人やその内容など、プライバシーに関することは守られます。

 今年の標語は「あなたしか 気づいてないかも そのサイン」です。2022年度、児童相談所に寄せられた相談件数は219,170件で過去最多となり、これは社会の意識が高まったからと考えられ、『189』の普及も大きいと思います。大切なのは早期発見で、重大な事態になる前に防ぐことです。皆さんのネットワーク力で虐待のない社会を構築しましょう。

≪あとがき≫ 知ってはいるものの、まだまだ意識不足を感じました。“見て見ぬふり”や“関わりたくない、自分には関係ない”ではなく、もしかしたら…と思ったら勇気を出してイチハヤク『189』へ!

この日、ろう者間では『電話リレーサービス』の話題になったり、質疑応答も行われました。

令和5年9月30日 橋本さん

中学生のころ、カメラと時計が欲しいと思っていた。ある日、父がカメラを買ってくれた。

学校には暗室のある写真部があったが部員は一人だけ。私は図書部だったが、頼み込んで内緒で暗室に入れてもらっていた。暗室での作業は、フィルムを数種類の液に順番につけていき、吊るして乾かすというとても手間も時間もかかるものだった。現像液は鼻をつくようなキツイ臭いがした。

修学旅行に行ったときは写真を撮りまくり、写真店に頼むと現像代が高いので自分で現像した。ハート型に切ったフィルムに現像してコッソリ持っていたところ、珍しい!と噂が広まってしまった。

写真コンテストに出展したきっかけは、63歳で迎えた定年退職だった。毎日釣りでもしようかと思っていたが、手話通訳養成講座の講師をしていたので、時間のある時に県や市のイベントに出かけて写真を撮っていた。

ある時、四国新聞に「引田のひなまつり」フォトコンテストの記事を見つけて応募した結果、見事初入選!!

このことは、ろう者であっても健聴者と互角に戦えると自信になった。その後も写真の出展を続けており、いつも仲間3人で競い合っている。

 

* 常々思っていましたが、ろうの方は見る力がスゴイ!!橋本さんは絵を描くのも上手で、サークルの行事の際はササっとホワイトボードに絵を描いてくださいます。映像を表現することに長けているのだと思います。私たちも見る力を養いたいものです。

令和5年7月26日 濱元さん

本当はスピーチを4月にやる予定だったが、4月17日にバイクでこけて右足のくるぶしを骨折し、延期させてもらった。バイクでこけたで原因→広告の安い卵を買いに行きスクーターの足元に乗せた荷物が落ちそうになりブレーキをかけて転倒。病院にも通って、結果高い卵になった。今も時々痛みがあり後悔。

手話サークルあらぐさの会には以前の会場、福祉会館で開催されていた時に手話奉仕員養成講座のスタンプをもらうため初めて参加。その日は、お月見会で双六などのゲームをした。手話もあまり分かっていない状況だったが楽しくて、そのあとも何回か参加し入会。
私が手話を始めた翌年に、当時高校三年生だった娘も手話奉仕員養成講座に行くようになり、一緒にサークルにも通った。その娘は看護専攻科を卒業し都会に行きたいと神奈川県で就職、今3年目。後輩も出来、少しは指導する立場になった。

骨折する一週間前、娘が彼氏を連れてきて結婚の挨拶。
彼の誕生日が6/8、娘が10/8なので間の8/8に入籍をしたいという事で6月末に私と主人の二人で神奈川県に行き、相手のご両親と顔合わせの食事会。会場は娘たちが準備、色々お話。相手のご両親も優しそうなお二人だった。子供が結婚するというのは初めての経験なので、不安は尽きない。

私も主人も愛媛が実家。娘と彼は今日明日、両方のおじいちゃんおばあちゃんのところに挨拶に行ってる。今、高松の家では娘が飼っていたインコを私たちがお世話している。小鳥の飼える新居に引っ越したので、明後日高松に来て神奈川に連れていく。娘が就職で神奈川に行った時より寂しい。

* 卵のくだり…主婦アルアルですが復活されて何より。お大事になさってくださいね。

あらぐさのアイドルがまたひとり人妻になっちゃいますね。月日の流れに今更ながら驚きです。どうかお幸せに♡

令和5年6月21日 宮内さん

 今日は1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「地球サミット」でのセバン・スズキさんのスピーチをそのまま伝えたい。

私はカナダで“エコ”(子供環境運動の略)という団体に所属している。世界中の飢えに苦しむ子供たちや絶滅寸前の生き物の“声”は、あなたたち大人には届かないので私たちが代わりに話す。

よく父とバンクーバーへ魚釣りに出掛けていた。ある日、連れた魚が癌(がん)に侵されていることに驚いた。一度、絶滅した生き物は永遠に戻ってこないのに我々人間はのんびり生きている。私たち子供は、この危機を救うため何をすればいいかわからない。大人の皆さんも解決方法を持ってないことを自覚してほしい。汚れた川に鮭を呼び戻す方法や、絶滅した動物の生き返らせ方も知らないのだろう。“直し方”が分からないなら壊すのはやめてほしい。

 二日前に、この地でストリートチルドレンに出会い、彼が言ったことに衝撃を受けた。「僕がお金持ちなら、家のない子供たちに食べ物と着る物、薬と家をあげたい」…今、食べる物がない子供がみんなと分け合うことを考えている。もし、大人たちが戦争に使っているお金を環境や飢餓の問題のために使えば、この地球はすばらしい星になるだろう。学校では社会での振舞い方を教えてくれる。『争いをしない』『話し合いで解決する』『他人を尊重する』『散らかしたら片付ける』『生き物を傷つけない』『分かち合う』『欲張らない』。

なぜ大人は、私たち子供に“するな”という事をするのですか。

父は「人間の価値は何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と言う。大人の皆さんも言葉ではなく行動で示してほしい。 

* 本当はもっとたっぷりお話してくださったのですが、要約させていただきました。

セヴァン・カリス=スズキさんは、カナダの環境問題活動家・著述家。9歳でECO(子ども環境NGO)を立ち上げ環境問題を開始。このスピーチは12歳の時にECOの仲間たちと旅費を集めて参加した時のものです。

令和5年5月24日 安部さん

 若い頃から長年通っている喫茶店があります。

私はコーヒーが大好きで、今はコーヒー好きの孫と一緒に行くこともあります。

昭和レトロな雰囲気が漂うその店は、カウンター内でマスターがゆっくりドリップした美味しいコーヒーをいただくことができます。

「相席」をご存知ですか?

この店では混み合ってくると相席するのは当たり前になっています。

行くのは月一回程度ですが、「いつもの」のひと言で注文が伝わり私にとってはホッとできる大切な場所です。

* カフェブームですが昔ながらの喫茶店、いいですねぇ(^^)常連さんはコーヒーチケットを預けていて1杯お得になって・・・思い出しちゃいました♡

令和5年3月15日 住田美江さん、洋一さん

3月4日、主人と一緒に「引田ひなまつり」へ行った。

自宅から車でJR造田駅まで行き、列車に乗り引田駅で降りて会場に向かった。受付ではガイドマップ、水、レモンティーを渡された。レモンティーは熱くて飲めたもんじゃないのに、その場にいたおじいさんやおばあさんは平気で飲んでいて驚いた。

今回の目的は主人が写真撮影、私は散歩しながら観光すること。ガイドマップはスタンプラリーも兼ねており、二人連れの女性が押しているのを見て私もならった。途中、偶然にも二人の先輩に会った。なかなか見つからないポイントは先輩方に助けを求めて、全6個集めることができた。それを持って受付へ行くとクジ引きがあり、ティッシュと巾着袋が当たったがこれはハズレだとガッカリ… 期待していなかった主人は箱入り和三盆だった。お昼は、きつねうどんとおにぎり二個を食べた。楽しかったが、心残りは飾ってあった“吊るし雛”。今でも欲しい気持ちがおさまらない。

[ご主人追加スピーチ]

 翌3月5日、再度引田へ一人で車を走らせた。前日、人混みの中で思うように動けず撮影できなかったからだ。早朝で誰もいなくて自由自在に撮れたが、帰宅してパソコンで確認するとイマイチだった。

* 家に物を置きたがらないご主人を思うと、どうしても欲しかった“吊るし雛”(吊るし飾り)は買えなかったようです。こんな小さな積み重ねが仲良しの秘訣ですね。

令和5年1月18日

『小学校の思い出など』

小学校4年生になった時、担任が理科の先生だったこともあり、科学が好きでした。

その先生は、授業の中で、生徒に「なぜそのようになるのか?」と質問して、生徒が答えるとさらに「ではそうであるなら、なぜ・・・?」というように常に自分の頭で考えさせるように授業をしていました。

例えば、先生が、「お湯を沸かすと泡(あぶく)が沸(わ)く。なぜか?」と生徒に質問します。

当時、私は科学雑誌などをよく読んでいて、水に空気が溶け込んでいる事も知っていましたので、すぐに手を挙げて「溶けていた空気が出てくる」と答えます。

先生は、私の答えに対してすぐには否定せず。さらに私に質問します。「では、溶けていた空気がなくなったら泡も出なくなるのでは・・・。しかし、お湯が無くなるまで泡が出るのはなぜか。」と・・・先生の言うとおり、お湯が無くなるまで泡が出るのは私も経験済みでした。

このように質問に対して自分の知識や経験を総動員して考えることはとても楽しいことでした。将来は科学に携わる仕事をしたいと思いました。

科学が進歩し、新しい技術が生み出されます。しかし、最先端の技術には時に危険な一面もあります。

皆さんは、「コメット号事故」をご存じでしょうか。イギリスが世界初のジェット旅客機「コメット号」を開発し、1952年(昭和27年)に就航しました。

しかし、就航からわずか2年足らずで機体が空中分解する事故が発生します。その後、一時飛行を停止し、原因究明のうえ対策を施したものの、就航再開後にまた空中分解事故が起こりました。

イギリスは、国運を賭けて事故原因を究明しました。原因は、当初思っていたより早く金属疲労が進んで破壊に至ったことでした。

この事故を教訓に、金属疲労の試験方法が確立され、より安全な航空機の開発が可能になりました。

技術は、一直線に進むものではなく、事故や失敗などの教訓を得て確立されるものだというお話でした。

* 娘さん宛に小学生の時のタイムカプセルから手紙が届いたのをきっかけに、ご自身の小学生時代のエピソードとしてスピーチはスタートしました。あふれる知識から、橋の靭性(じんせい)や原発のしくみ、核爆発やオゾン層のことなど・・・・参加者は少し難しい内容のお話を、何とか読み取ろうと取り組んでいました。

令和4年12月7日

 

ろう学校の同級生7人と11月3日から5日に2泊3日で京都へ行った。コロナの影響で4年ぶりだが、それまでは2年に1回実施しており今回は4回目だ。この旅行はジャンボタクシーで観光地を巡った。

1日目は「寺田屋歴史博物館」へ。坂本龍馬らが襲撃された場所で、柱には刀の痕が残っていた。宿泊先は「全国手話研究センター」。JR嵯峨嵐山駅の近くで、ろう者だけでなく誰でも利用できるので皆さんも是非どうぞ!

2日目はJRで天橋立へ。途中、乗り換えがあるのだが3分しかない。降りたホームの隣の列車に乗ればいいのに代表は早足で階段を上がっていく。奥さんがイノシシのごとく走って連れ戻し間に合った。到着すると待機していたジャンボタクシーに乗り込み伊根湾へ。遊覧船に乗り、初めてのカモメのエサやり体験はとても楽しかった。1階が船着き場、2階が仕事場や住居という建物が230軒も並んでいた。次に日本三景のひとつ、傘松公園へ行った。股から覗き見る天橋立は、竜が昇っているようで素晴らしい景色だった。

3日目は福知山城へ行ったが、臨時休城の貼り紙にガッカリ・・・。藤井聡太竜王と広瀬章人八段の将棋界最高位決戦の会場になっていたからだ。仕方なく次の「美山かやぶきの里」へ行った。その景色を見たとき、以前にも来たことを思い出した。

3日間利用したジャンボタクシーの運転手はとても優しく、いろいろ手助けしてもらった。初日は小さなメモ帳での筆談が、翌日には大きなスケッチブックになっていたこと、写真撮影や雨になりそうなときは7人分の傘を持ち運んでくれた。

私は元気だが同級生の体調を考慮して、遠出の旅行は今回が最後。でも、やめるのではなく2年後は岡山や四国内など近場に行こうと話し別れた。

 

お手製の行き先を書いた紙を巻物のように開きながら話してくれました。旅のしおりも作って準備もしっかり!楽しかったのがスゴク伝わってきました(^^♪

令和4年11月9日

 

今まで暮らした場所についてお話します。

今は高松に住んでいます。

高松で結婚後、東京の国立市に引っ越しました。最近有名なコーヒーの店ができましたがわかりますか?ろう者が働くコーヒーの店、スターバックス。注文方法は、①手話 ②指差し ③筆談 ④口話。今度行きたいです。

国立市から世田谷区。私は蕎麦屋で働いていたのですが、出前に行ってよく芸能人に会いました。そして埼玉県へ。サッカーと野球が有名です。

次は広島県福山市。福山は琴の生産が日本一です。小学校から授業があります。琴の大きさ180センチ×30センチ、13本の糸を右手の親指、人差し指、中指3本に爪を入れて弾きます。爪は象牙です。毎年全国大会が開かれ子どもたちが演奏する姿に感動したのを覚えています。

福山から広島市内へ。有名なのは広島カープとお好み焼き。次の群馬県は主人が4年間単身赴任をして頑張りました。草津温泉が有名で紅葉の時期の露天風呂は最高です。

25年ぶりに香川に帰って建物がた。子育てを終えて始めたことは、琴、山登り。山登りは、うどんと天ぷらがおいしくて7キロ太ったのでダイエットのために始めました。そして手話。きっかけはこどもの頃読んだ黒柳徹子さんの本。彼女が幼い時ろう者が手話で話すのを見て「手でお話ができるのって凄い、私もしたい!」と思ったそうです。私もそう思いました。手話の技術はまだまだですが、将来は手話のできる介護士になるのが目標です。これからも出会い、縁を大切にしたと思います。よろしくお願いします。

* とても見やすい手話で、落ち着いて話されていたように思いました。以前から感じていた親しみやすく柔らかな雰囲気は、色んな場所で生活して見聞を広げてこられたからなんだと腑に落ちました。目標に向かって頑張ってください!!

令和4年10月19日

 

この場所(築地コミセン)は昔は小学校でした。そして私はここを卒業しました。

私は昭和22年うまれです。入学の時、校舎は戦火で焼けていたので入学式は運動場でやりました。

校舎がないので隣の花園小学校に2年間通いました。やっと築地小学校に帰ってきたときは3年生でした。でも、後輩たちの教室が足りないので、増築することになり今度は新塩屋小学校に通うことになりました。こちらは遠くて大変でした。

そして5年生の時にこの場所に帰ってきました。

今も昔も変わらないのは運動場だけです。その運動場の見える場所で皆様と一緒に手話の勉強ができることはとても懐かしいし嬉しいです。

皆さんこれからもよろしくお願いします。

* 終戦後のお話が聞けて良かったです。1クラス60人以上の同級生、名前も?な子もいたのではないでしょうか。まさに「団塊の世代」ならではの苦労があったんですね。

くしくも懐かしい学び舎でサークルに参加することは感慨深いとおっしゃっていました。

令和4年9月7日

私は中国語とタイ語を勉強したことがあります。短大生の時、本屋の外国語入門コーナーですごくかわいい文字を見つけて衝動買い。それがタイ語入門でした。CDを繰り返し聴いて発音したり書く練習をしました。

数年後、兄が大学を卒業したお祝いに家族で中国へ旅行しました。その時は言葉もわからず、ただただ怖くて楽しめず残念でした。今度、行く機会があれば中国語を流暢にしゃべれるようになりたい!と思い、アイパル香川の中国語講座の申し込みをしました。

私は人見知りで自分から話しかけることが苦手です。でも沢山のことに興味を持ち、やってみることで様々な人と出会いたいです。そしてみんなとコミュニケーションを取り、もっと語学力を高めていこうと思います。

* 以前、新しい言葉を身につけたくて手話を始めた、とおっしゃっていたのを思い出しました。カエルが好き、でもペットはエビだったり・・・この日、また新たな一面を知ることができました。皆さんからの質問にも答えて最後までドキドキのスピーチでした👏

令和4年6月15日

6月6日は「おけいこの日」だそうです。習い事を始めるのにこの日が良いとされている為で、歌舞伎や能など伝統芸能と深く関わりがあるそうです。

私も子供のころはピアノ、習字、そろばんを習っていました。中でも幼稚園から中学まで続いたピアノは、子どもが産まれてから再び習い始め、有名なピアノ曲を少し弾けるようになりました。

子どもが大きくなると、ゴスペル、津軽三味線、尺八を始めました。私も若かったので忙しく出かけたり、発表会の衣装を選んだり、打ち上げに参加したりと楽しんでいました。

しかし、母親のガンを機におけいこを休むことが続き、亡くなった後はコロナの影響で自粛、だんだんおっくうになっていきました。

邦楽は師弟関係が厳しく、他流派との合奏は師匠の了解がないと出来ません。事務的な用事も増え、プロを目指すわけでもない自分の技術にも限界を感じ楽しめなくなっていきました。

そんな時、ある人が関係を止めるには「不義理」をすることだとアドバイスをくれたのです。思い切って師匠に止めたいことを伝え、繋がりのあった先生方に連絡して、事務の引継ぎを終えると、気持ちがスーッと楽になりました。今は、親しい仲間と、老人ホーム慰問に向けておけいこをしています。

「不義理」をきっかけに、身の回りの「断捨離」を始めようと思いました。家の片付け、不用品の処分、そして人間関係。

ガンを告知されて亡くなるまでの間、残される父のために、色々整理して亡くなった母。例えば自分の葬儀や法事のことなどパソコンに残してくれました。覚悟を決めて生きた母のように私も生活していきたいと思います。

* コロナ禍になるまで、定期演奏会には何度か行かせてもらいましたが、日ごろの練習成果を存分に発揮する姿はまさに”男前”でした。ご本人の経験や思いが伝わり、スピーチ史上初!?質問が出ないほどしんみり・・・

お母さまの愛車を今も大切に乗っておられます。家族愛が詰まったお話、ありがとうございました。

令和4年5月18日

私は28歳、医療事務の仕事をしていましたが、去年から休職して大学に通っています。何の勉強をしているかを、これから紹介します。

私は眼科で医療事務として働くうちに、「視能訓練士」という技術職にあこがれるようになりました。1年間視能訓練士の専門学校へ行くことに決めましたが、入学するには短期大学以上を卒業している必要があります。私は大学に行っていないので、去年から短期大学に通い医療事務を専攻しています。来年からやっと大阪の専門学校へ行く予定です。

「視能訓練士」について紹介します。視能訓練士は国家資格です。眼科検査で医師の診療をサポートする”医師の右腕”のような職業です。視力が育たない子どもを訓練して、視力の向上を助ける役割などもあります。

今は、平日は学校、土曜日だけ眼科の仕事に通っています。資格が取れたら今の職場に戻り、医療事務と視能訓練士の両方ができるようになります。

これから手話ももっと上達して、ろうの患者さんが安心して来られる病院にしたいと思います。

* お恥ずかしいのですが「視能訓練士」という資格のことを知りませんでした。小柄でかわいい彼女が、専門学校入学のために休職して大学に通うバイタリティーあふれる女性だったことにも驚きました。

スピーチのあとは参加者から”頑張って!!”の手話が飛び交っていました。いただいた原稿も書き込みがいっぱいで、何事も一生懸命なんだなぁと感心しきりでした。

令和4年4月6日

私は某県立高校で教員をしています。昨年、ソフトテニス部の第二顧問をおり、週末に時間が空くようになったので楽しめることを探していました。友達とカフェ巡りをして美味しいお店を発掘したり、着物の着付けを習いました。母は和裁ができるので、ネットで買った反物の仕立てをお願いしています。毎年1月3日か4日は友達と着物で食事に行ったり散歩をします。

また、キャンプを2、3人で楽しんでいます。金曜日の仕事の後、車でキャンプ場へ行き木を切り焚火に。個々に晩御飯を作りきれいな星空を眺めながらリラックスしています。次にハマっているのがドッチビー。生徒から教わったもので、ルールはドッチボールと同じなのですが、投げ方がタテとヨコの2通りあります。公園に行き子供たちが遊んでいるのを横目に大人がはしゃいでいます。

キャンプを始めたきっかけは防災です。災害にあった時、屋外で生きていけるようにと考え道具を揃えたのですが、今ではアウトドアを楽しむようになりました。

* 仕事が忙しくなかなかお会いできないのですが、多趣味な一面を見せていただきました。ドッチビーはフライングディスクのような道具を使うのですが、みんなで実際に投げてみたりと楽しいスピーチでした。キャンプの様子は、「ギャラリー」の令和3年9月、”コロナに負けるな!!(3)”で紹介しています。仕立てあがったお着物も披露してくださいね~(^▽^)/

令和4年1月19日

犬や猫など迷子の動物を警察に届けた場合”落とし物”扱いだと知っていますか?

7年前に我が家の大型犬が行方不明になり、名前(ハルオ)を呼びながら辺りを捜してもいなくて、おなかがすいたら帰るかな?とエサを置いて待っても帰ってきませんでした。翌日保健所に連絡しました。届けも保護もされてなく、保健所の勧めでHPに写真と名前・性別・特徴を載せてもらいました。

2日後、保健所から迷い犬として保護されているとの連絡があり警察に迎えに行きました。受付で案内されたのは”拾得物”取り扱いの課。

「えっ!?落とし物並み??」と思いながら書類に記入。見つけてくれた人にお礼を言いたいとたずねたら、犬が大キライで恐ろしかったので通報したから知らせないでほしいとのことでした。でも警察の人が地図を広げて「このあたりのお宅です」と指したところは自宅から500メートルくらい離れた同じ町内でした。

犬が保護されていたのは、鉄筋コンクリートの窓のない建物。シャッターを開けると鉄の柱につながれていました。「ハルオ!!」と呼びながら近寄ってもいつもの反応がなく、表情も暗かったことを憶えています。エサと水は置いてくれていたけど、電球が一つ点いた外が見えないところでかわいそうでした。

家に着いてもシッポが立たず食欲もありませんでした。散歩に行けば元気になるかも!!と思いましたが、いつも小走りだったのにトボトボ歩き・・・1か月を過ぎたころ亡くなりました。暗く狭いところにいたことがトラウマになったのかと申し訳ない気持ちで悲しかったです。

それ以来、その子の姉?妹?にはGPS付きの首輪を着けました。人間の子供やお年寄りが迷子になっても”拾得物”扱いなのか?動物も同じ命なのに・・・とショックを受けました。

そもそも、この子達の母親は迷い犬でした。夫が通勤中、玉藻公園近くで白い秋田犬に出会い、顔には黒いペンで眉を描かれており、大きいけどおとなしいんだなぁと思っているところへ、通報を受けた警察官に連れて行かれたとのこと。

どうしても気になった夫は、保健所と警察に届けがないことを確認すると、週末に引き取りに行きました。きれいに洗って病院に連れて行くと、推定5歳の秋田犬だろうということでした。我が家の”家族”となった季節が春だったので、”ハル”と名付けました。

* なんだかドラマのようなお話でした。猫を保護したお話もしてくれました。家族の一員であるペットが日本ではまだモノ扱い。コロナ禍でペットをモノのように買ってきて、飼えなくなったら簡単に保健所に持ち込む飼い主がいると聞きます。動物のためにお金と時間をかけられない人は飼うべきではない、これは持論ですが、命の大切さを考えさせられたスピーチでした。

令和3年12月8日 太田 裕之さん

『私の歩んできた道~出会い・ことば~手話の原点は、「手話サークル雑草の会」』

今年5月「社会福祉功労」で知事表彰を受賞された太田さんが、青年期から現在までの人との出会い、ことばによる葛藤や感動、手話に対する思いを手話をしながら語ってくれました。

参加者は、香川県の手話通訳の第一人者のお話を真剣に見入っていました。

約一時間のスピーチの内容を資料でいただきました。詳しくはこちらをクリックしてください。➡ 私の歩んできた道~出会い~

令和3年11月17日

私が手話と出会ったのは平成14年頃、医療者対象の手話講習会です。週1回の学習で手話に興味を持ったものの、当時は仕事と子育てに追われ、講座やサークルに参加することができず、だんだん忘れていきました。定年前に退職し、また手話を学びたいと思い、現在は通訳者講座を受講中です。家族は私と主人、そして猫2匹です。子供2人は家庭を持ち、仏生山と名古屋に暮らしています。孫は5人いて出費がかさみ”打ち出の小づち”が欲しいくらいです。

勤務していた所はおごそかで独特な管理の会があり、毎年新年会がありました。管理者になった人や年女が一芸を披露する恒例行事で、私は参加した3回中2回手話ダンスを行いました。SMAPの「世界に一つだけの花」とAKB48の「365日の紙飛行機」です。機会があればサークルでも披露しますね。

私の趣味は旅行で、コロナ禍前はヨーロッパやアジア方面へ行きました。ツアーではなく約1週間アパートを借り、食事も自分で作り、好きな時間に自由に出かけます。旅慣れた友人との2人旅で、彼女はいつも私に意地悪をして、現地集合、現地解散にするのです。

今まで一番ドキドキしたのは、フランスのシャルルドゴール空港で乗り継ぎした時のことです。ターミナルがあまりにも広くて搭乗ゲートがわからず、フランス語も話せなくて絶望的になった時、日本語のアナウンスで私の名前が聞こえてきました。猛ダッシュでゲートへ到着すると「大丈夫ですよ、置き去りにはしませんよ」と言われ、もう二度と”乗り継ぎの旅はしない!”と思いましたが、世界遺産巡りや美味しいものを食べたいので、早くコロナが収束して旅行ができることを願います。

* とても盛りだくさんの内容で質問が集中!!手話表現の確認後、もう一度スピーチをしていただきました。2回読み取りを行い会員の皆さんも内容が理解できたのではないでしょうか。本当にありがとうございました。

令和3年10月20日

これまで夫の仕事で全国を転々としてきました。香川に来て3年目になります。以前、名古屋に住んでいた頃、私の職場に時々ろう者が来られて楽しそうに”手”でお喋りするのを見ていると、まるで”声”が聴こえてくるようで、手話に興味を持ちました。当時は本を買ってみたりNHKの番組で勉強をしましたが、いつの間にか忘れていました。高松に引っ越して、市のホームページで「手話奉仕員養成講座受講生募集」の記事を見つけ、今度こそきちんと学ぼう!と申し込みをしました。現在は通訳者養成講座を受講中です。

8月に、ろうのマラソンランナー林原未来さんの講演会に出席しました。その時、彼女がお話しされた二つのことが印象に残っています。一つは「目標を高く持ち、練習を続ける」、もう一つは「自分はもっと伸びる、もっと頑張れると信じること」が大切ということです。私も共感して、肝に銘じたいと思いました。

話は変わりますが、私の趣味は映画鑑賞です。20年前に韓国作品にハマり、一年間に5~6回現地に行ったほどです。観光や買い物をして美味しいものを食べたり、ある時は一日中映画館で繰り返し作品を観たこともあります。言葉はわからないけど、とても楽しかった思い出です。コロナが終息したらまた行きたいです。

* 白く長い指がとてもきれいで清楚な雰囲気の方ですが、韓国映画への情熱?というか行動力に驚きです。韓国のこと色々教えて欲しいです!(^^)!

令和3年7月14日

高校時代に先生から「保育士を目指してみてはどうか?」と言われたのをきっかけに、専門学校へ進学しました。卒業後保育士として高松市内で勤務し、子供たちと一緒に、砂団子を作ったり、おもちゃで遊んだり、育てた野菜で料理をしたことが楽しかったです。現在は息子の事業で事務作業をしています。

手話との出逢いは、保育所勤務の時に保護者の方や子供たちと手話コーラスを覚え、発表会で披露したことでした。そして今から3年前、広報で手話入門講座の受講生募集を見つけ、申し込み通い始めました。講座で手話サークルに入ることを勧められ、サークルでは手話を優しく教えていただき、仲間とランチを楽しんだりしました。

私の好きなことは、先ず美味しいものを食べることで甘いものが好きです。2つめは旅行に行ってきれいな景色と温泉を楽しむことですが、今はコロナで我慢。3つめは大正琴を弾くこと。そして4つめは手話で、これからも焦らず続けて上達したいと思います。

* 在職中は子供たちや保護者から人気の先生だったのが伺えるお人柄で、サークルでも笑顔で積極的に参加されています。一生懸命に表現されているのが良く伝わってきたスピーチでした。

令和3年6月9日

私の趣味は料理です。作ることが好きで美味しくできるとうれしいです。NHKの番組「きょうの料理」や「あさイチ」は仕事のため見ることができないので、録画して紹介された料理を参考にします。好きな料理人は土井善晴さん、栗原はるみさん、大原千鶴さんの3人で、味が家族の舌に合います。最近はスマホのアプリでもメニューを決めることができ便利です。

我が家は現在、主人と2人暮らしなのですが、食べたらいつも「美味しい!」と言ってくれるのでまた頑張れます。作ることが好きな理由はそこにあるのかも知れません。

得意料理はゴボウ入り鶏のから揚げ、中華酢の物、お好み焼きです。この間の日曜日はフキを買ったので佃煮にしました。

夫婦共働きなので「お互いにできることをしよう」と、家事は分担しており、主人は水曜日が休みなので料理をしてくれます。定番メニューはカレーで、今日もサークルから帰って食べます。

* ゴボウ入り鶏のから揚げ・・・ささがきにしたゴボウを鶏肉のまわりにつけて揚げるとゴボウがパリパリして美味しいそうです。作ってみたい!と思いました(^▽^)/ ご夫婦仲良くお暮らしの様子が目に浮かぶようなスピーチでした。

令和2年12月9日

私の家族は、夫と私そして犬2匹(ダックスフント)の4人です。現在は就活中で、趣味はヨガです。

手話を始めたきっかけは、6年くらい前に重度の難聴者と知り合ったからです。彼は、いつも笑顔で色々なことにチャレンジする素晴らしい人でした。筆談でやり取りしていましたが、手話のほうがスムーズだと思い、サークルを探して通ったり、彼に教わりながら勉強を始めました。

そんな矢先、私は右手首と腰の骨を折るケガをして2か月の入院となり、その間に彼は仕事の都合で東京に引っ越してしまいました。徐々に連絡も減り、私は手話から遠のいていましたが3年前、急にまた勉強がしたくなり奉仕員養成講座に申し込みました。高い倍率の中、無事受講でき今は通訳者講座を受講中です。

弱視のため読み取りが苦手ですが、周囲のみんなが助けてくれてありがたいです。手話を続けて良かったと思うのは、ろう者や健聴者に関わらずたくさんの出会いがあることです。

夢は通訳者になることです。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。

* 例会では最前列に座りホワイトボードを写真に撮り、勉強しているんだろうなと思っていました。今回のスピーチは、スムーズな表現で練習した成果がよくあらわれろうの会員さんが褒めていました!!

令和2年10月21日

『ろうの「文化」と「習慣」』

ろうの会員さんからお話ししていただいた内容を要約しました。

1 初対面のろう者との会話

ろう者はまず、出身校をたずねる。→「あの鈴木さん知ってる?」

ろう学校は都道府県に1校または2~3校あり、毎年持ち回りで開催される 全国ろうあ者大会やろうあ者体育大会に参加しているので友達が全国にできる。

2 人を呼ぶとき

健聴者と同じように肩や腕をたたく。また、床や机をたたいて振動で伝えたり、遠くにいるときは大きく手を振る。

3 起きるとき

中学校の時、近所のろう夫婦の家で扇風機のタイマーをセットして目覚ましに使っているのを見て驚いた。今はスマホなどのバイブを使って起きる。またJR等の車内放送は聞こえないので、腕時計の振動を乗り過ごさないよう仮眠をしたり、おしゃべりをする時に使っている。

4 友人のニックネーム(あだ名)

髪型やくせなどその人の特徴で表現。

「志村けん」「加藤茶」「明石家さんま」など特徴的なので通じますよね。

5 会話をするとき

ろう者は相手の顔をじっと見るのが普通だが、健聴者には抵抗があるらしい。また自分や相手、場所を指さすことはろう者にとってはマナー違反ではない。

6 家を訪問するとき

ドアのチャイムは聞こえないので”屋内信号装置”の点灯でわかる。

昔は玄関や家の外から懐中電灯をピカピカさせて知らせていた。

7 満員のエレベータに乗るとき

操作ボタンの前には立たない。「✖✖階お願いします」と言われても聞こえないから。

8 拍手をするとき

手をひらひらさせて目で見えるように拍手をする。

9 洗濯機や電子レンジを使うとき

終了のブザーやチン!は聞こえないので目で確認するしかない。洗濯をしていることを忘れて干さずに出かけてしまい、翌日シワになった作業着で仕事をしたことがある。

10 電車に乗るとき

発車の笛や放送が聞こえないので、発車直前に乗り込み、首を挟まれそうそうになって怖かった。今は駅員さんを見て確認しから乗っている。

11 緊急自動車にどうやって気づく?

信号が青になっても周りが動かない??おかしいなと思い見回すと、向こうから救急車がきていたことが何度もあった。自宅周辺に病院が多いので、聞こえなくても目で確認することを大事にしている。

12 スーパーなどで支払いをするとき

今はレジに金額が表示されるが、昔は金額を言われてもわからないので大きなお札で支払っていた。小銭で財布がいっぱいになるので、ろう者同士では小銭で支払って財布を軽くする・・・ろう者同士アルアル。

13 内緒話をするとき

健聴者はひそひそ声で内緒話をするが、ろう者は低い位置で手話をしたり、他の人に見えないように話す。

* 日常生活の中でろうの方たちが苦労や工夫を重ねてこられたのがよくわかりました。

令和2年11月11日

私の家族は夫と子供3人の5人、子供たちは県外で学業と仕事にそれぞれ頑張っています。

趣味は、布で手提げバックを作るのが得意。また、パンを焼くのも好きです。一番よく作るのがソーセージを中に入れたパン。台風で外出できない時に作ることが多いです。とてもおいしいので外に出られなくても家族が笑顔になります。最近は家で映画を見ることが増え、今は「男はつらいよ」という昭和の映画が面白いと思います。

家の中で過ごすことが好きですが、手話に関わることで色々な人に出会い交流できることも楽しいです。

手話を初めて見たのはずいぶん前で、ろうの方同士が活き活きと話すのを見て「すごい!」「なぜ伝わっているのか!?」そして「いつか手話を知りたい」と思いました。

その後、子供が幼い時に手話奉仕員講座を受講し手話サークルにも通いました。しかし仕事や子育てが忙しくなり、手話を一旦お休みすることにしました。

今から2年ほど前、健聴者の友人から「手話を始めないの?」と言われたのをきっかけに子供も成長したのでもう一度始めることにしました。そして、この「雑草サークル」でお世話になることにしました。

これからもよろしくお願いします。

* いつも静かで落ち着いた手話のNさん。これから手話を通してドンドン外へ出ていってくださいね。おいしいパン、食べてみたいです!(^^)!

令和2年10月14日

『私が手話を学び始めたきっかけ』

2年前、病院横の薬局へ就職した春に、通院しているろうのおばあちゃん出逢い”この人とコミュニケーションを取りたい!!”と思いました。付き添いの看護師さんと手話で会話しているのを見たその日は、帰宅後ネットで手話動画を検索し、「お待ちください」や「お大事に」など挨拶や職場で日常的に使う6つの手話表現を覚えました。

2回目にお会いした時、「おはようございます」と手話で挨拶すると、ビックリされましたが通じたことがとても嬉しかったです。診察と薬のお渡しが終わって、お帰りの際すれ違いざまに肩をたたかれ「手話ができるの?」と手話で話しかけられました。「すみません、少しだけ」と返すと「ぼちぼち頑張って!」と言ってくれました。4回目にお会いした時は、私のネームを見て名前の手話表現を教えてもらいました。

その年の冬、知人からサークルや手話講座があることを紹介してもらい、去年入門編を修了して、現在は基礎編を受講中です。

そのおばあちゃんは別のサークルに通っていると聞いていたのですが、私は仕事のため参加できません。でも、どうしても行きたくて上司に事情を話したところ、有給休暇を利用して先月ようやく参加が叶いました。その日は”パー”の形の手話をいくつか出し、それを使って短文を作り表現する内容でした。私はおばあちゃんの隣に座り、一緒に考えてドキドキしながら表現しました。

私の目標は、ろう者と会話ができるようになることです。でも個々に早さやクセがあること、また地域によって表現が異なることが難しいと感じています。

これからも勉強を続けたいと思いますのでよろしくお願します。

* 手話への秘めたる情熱を感じたスピーチでした。ろうの方に手話表現を教えてもらい、何度も練習して臨まれたのがとてもよくわかりました。これからもお仕事と手話の両立、頑張ってください!!

令和2年9月2日 ゲストスピーチ 林原 未来さん

『人生初のフルマラソン』

ダイエットのため5年前からマラソンを始めたが、今は走ることが自分の成長につながり、人生が豊かになると思っている。

始めた頃、足に痛みが生じ接骨院へ行った。先生から「もっと体力をつけて動かすように」と筋肉をつける方法としてウォーキングや姿勢などを教わり、次に走るよう指導を受けた。

トレーニングを続けて1年後、初めて大会に出場した。それ以来、広島をはじめ西日本各県の大会に参加してきたが、コースを間違え大幅に遅れてしまった経験から、きちんとルールを把握するため手話通訳の依頼をした。

そして去年12月、ハワイのホノルルフルマラソンに参加した。気温35度、日差しが強かったが湿度が低いのでベタベタしなかった。12月といえば日本は冬。気温差、時差に体を慣らすため2日前に現地入りして、コンディションを整え大会に挑んだ。当日は、朝5時半スタートなので夜中1時に起床して朝食を済ませ、トレーニングを行った。参加者には日本人が多いことと、小・中学生がいることに驚いた。自分のペースを守り、集中したことで完走できたと思う。両親をはじめ、応援してくれた人に感謝している。

練習は一回で15~25㎞、月間にして120㎞以上走ることが多い。この夏は暑さが厳しかったが、8月は自宅の牟礼町からJR坂出駅の二つ手前の鴨川駅まで走った。(帰りはJR)

今後の目標は、フルマラソンの42.195㎞を超える60㎞のウルトラマラソンに挑戦することだ。現在、コロナの影響で大会は中止となっているが、これを目指してトレーニングを続けていきたい。

プロジェクターで写真を紹介

絶景ですね!!

完走のメダル☆彡

とても充実した笑顔です♡

* スピーチを快く引き受けてくださりありがとうございました。久しぶりにお会いした未来さんは、自分の目標をしっかり持った素敵な女性になっていました。これからも頑張ってください!!

令和2年8月5日

私は38年前、このサークルに参加するようになった。社会人になったばかりの18歳・・・。と言うと年齢がバレてしまうが(笑)

当時、通勤のバスで一緒になるろうあ者先輩に誘われて入会することになった。今は会員の顔ぶれは変わってしまったが1人だけ残っている。そのOさんを中心に会員は100人近く、その中にろうあ者もたくさんいた。役員も10人位いてサークルを運営していた。

20代の頃は、雑草だけでなく、ほかのサークルにも通っていたので交流は広がった。足が遠のいた今でも、偶然会うと「久しぶり!」と言ってくれる人がいる。思い起こせば、サークルでの交流があったから今の私があると思っている。

3年前に亡くなった親父もこのサークルで手話の勉強をしていた。それは、お袋が「将来、お嫁さんをもらった時にコミュニケーションを取れるよう手話を覚えたほうがいい」と話したからだ。周りのろうあ者は、健聴の家族とのコミュニケーションは難しいと悩んでいたので、手話を学んでくれた両親が本当にありがたかった。

* 久しぶりの雑草に、ろう者として積極的に参加してくれています。新規の会員さんも増えましたので、手話の楽しさを教えていただけると嬉しいです(^^♪

令和元年 11月13日

『私の趣味』

私の趣味は、動画を見る、スノボ、歌う、寝る等たくさんあります。今回はその中から4つをお話しします。

1つ目はバイクです。今はAT(オートマ)に乗っていますが、将来はMT(ミッション)のバイクを買いたくて、何を買おうか妄想するのが楽しいです♡

2つ目はインコです。

今は4羽飼っています。名前は、れもん・すいか・おくら・もんじゃです。2羽は自分のお小遣いで、もう2羽は愛媛から里親として家にお迎えしました。

3つ目はカエルです。

なぜ好きになったのかは分かりませんが、小学校の頃からキャラクターの様なものよりもリアルなカエルが好きで、特に毒がある”ヤドクガエル”は色がキレイで好きです。

4つ目は自慢の親友(みかちゃん)です。高校で出会った彼女の趣味は、料理、裁縫、カメラ、ピアノなど私とは違うけれど、とても気が合います。誕生日にはお手製のペンケースや、私が飼っているインコたちを刺繍したバックをプレゼントしてくれました。私が勉強している”手話”に彼女も興味を持ってくれて、このスピーチの内容も一緒に考えてくれました。授業中もこっそり手話でおしゃべりしています😊

*母娘でサークルに参加している雑草の会のアイドル!!手話のスキルもグングン上がってます⇈これからも手話を楽しく続けて欲しいです♡♡

令和元年 10月9日

『オーストラリアの友人を訪ねて』

8月25日から9月2日までの9日間、手話のできる友人と彼女の子供の3人でオーストラリアに住むキャシーに会いに行った。キャシーとは25年前に雑草の会で出会って以来、今でも手話を通じて付き合っている。オーストラリアは季節が逆なので寒いかと思いきや、涼しくて気持ちよかった。

ゴールドコースト空港からJTBの車に約10名が乗り込み朝食をとった後、カラビンの動物園へ行きコアラやワラビーと触れ合った。その夜、宿泊先のホテルでキャシーと再開のハグ!友人の子供は4歳だが英語で会話していた。

3日目、キャシーの車でドリームワールドへ。そこで働くキャシーの息子さんと妹さんが合流、息子さんが案内をしてくれた。

4日目はキャシー宅の庭の水道管が破裂したため、予定を変更してキャシーの友人の家に。とても立派な家で、広い庭でトランポリンをしたり手作りチョコレートケーキを食べて過ごした後キャシーの家に行った。

5日目以降、キャシーは仕事のため私たちだけで観光した。サウスポート行きのトラム(電車)で乗り合わせたニュージーランド人の夫婦から色々教えてもらい助かった。77階建てのスカイポイントでは高速エレベータで上がりパノラマビューを楽しみながら昼食をとった。

デパートや動物園など人が多く集まる場所のトイレットペーパーが異常に大きく、また洗った手を乾かす機械の風圧が強くてすぐ乾いたことが日本と違うと感じた。3人ともまだまだ帰りたくなかった・・・

今回の旅行で色々な人と出会い、助けてもらい、楽しませてもらった。キャシーも同行した友人も出会いはこの雑草の会、私にとっては思い出のあるサークルだ。

*ホテルに戻る道路で見つけた標識。夜行性のため事故が多いそう。わざわざイラストを描いて説明してくれました。充実した旅だったのがよくわかりました。

令和元年8月21日

『趣味の写真やカメラについて』

子供のころ、欲しいものが色々あった。ある日父親にカメラを買ってもらった。嬉しくてレンズや明るさを調整したり、ろう学校の修学旅行では撮りまくった。

当時、ろう学校には暗室があり友達とよく利用していた。薬にしばらく漬けると画像が浮かび上がる。3液くらい次々に入れて取り出し吊ってとめる。昔は写真ができるまで一日くらいかかった。ハートに切った紙を使うと♡の写真になったり色々面白かったのが懐かしい。今も学校に暗室はあるのかな?

・・・現在も写真を撮るのが趣味。定年後本格的に始め10年以上になるそうです。イベントやお祭りに出かけ写真を撮ってはコンクールに応募し、何度も入賞するほどの腕前です!!今は4台のデジカメで撮影を楽しんでおられるとのことです。

令和元年6月19日

『アンガーマネジメントについて』

アンガーとは怒り。怒りは言葉や暴力となる。社会問題となっている”あおり運転”もその一つ。「アンガーマネジメント」とは怒りの感情をコントロールすること。例えば、他人と待ち合わせの時、何分前に行くか、また何分なら待てるか。個人差はあるが、イライラする原因は「時間を守るべき」という概念。

イライラを抑える具体的な方法として・・・

1.イライラしそうになったら6つ数える

2.まあ大丈夫だと思う

すぐには出来ないが、トレーニングすることでイライラを抑えることができるようになる。

* アンガーマネジメントの出前講座をされている会員さんが、資料を用意して説明してくれました。参加者は熱心に聞き入っていました。